新聞

経費削減を標榜しているにも関わらず、当社はなぜか今年度から購読新聞を増やした。

これまで読んだことのなかった新聞を読んで考えたことを、忘れないように、忘れても思い出せるように、ここに記す。

 

当社は、日本経済新聞朝日新聞、読売新聞、東京新聞毎日新聞を購読している。今年から毎日新聞と読売新聞の購読を開始したそうだ。

 

中高生の頃は、口うるさく新聞を読めという父親が煩わしくてたまらなかったが大学生になって、自分に関係ないと思っていた事象が関係あると気付いたりして習慣付けてくれたことを少しありがたく思ったりした。

新聞を読むと学力が上がるとか、論理的思考力が身につくというのは大嘘だと思うが、社会、というより今の自分の世界より広い世界への入り口にはなってくれると思う。

 

さて、当社の購読新聞が増えたことにより今まで読んだことのなかった読売、東京、毎日を読むことになったのだが、同じ事象を伝える記事でもここまでトーンが違うものかと驚いた。

読売は基本的に現政権に賛成する方向、東京は自由主義を妨げるものは全て敵とみなして批判する、毎日はひたすら中庸を目指す、といったスタイルでそれぞれ記事が構成されていた。

 

5紙を比較し、金銭を払ってまで買う意味があると思うのは朝日新聞だ。

文体も語彙も上品で、取材力と支局の多さに裏打ちされた情報量は他紙の追随を許していないように思う。朝日新聞は単独で、過去にはマリーヌ・ル・ペンを、今年にはアウン=サン=スーチーを取材し見開きの記事にしている。

日本の他の新聞社に、前掲の2人を取材できる会社があるだろうか。

 

また、朝日新聞は、よく「偏向報道」と批判されているが、その批判をする人々は全く記者の主観を交えずに書いた記事がどうなるか想像したことはないのだろうか。

起きた事象に対して、原因や是非、今後の動向を予想するためにはある程度の軸が必要になりその軸がいわゆる「右」や「左」に分類されることも多いだろう。

(※私は右とか左、という分類があまり好きでないし、誰もが明確に使い分けているわけではないので、安易に使いたくない言葉だ。)

そして、単なる事実のみから、価値が出てくることはない。そこには必ず価値判断が含まれる。事実から価値を導くための価値判断の基準が違うだけで、偏向報道というのはあまりに当を失する批判ではないか、と思う。

 

新たな発見もでき、考えが少しまとまったので経費削減中にも関わらず、購読紙を増やしてくださった当社には感謝している。