男性ライフスタイル誌に配属になってからも、忙しさに変わりはなく何も考えずに惰性で仕事を続けていた。
楽だったのは女性ファッション誌編集部で感じていた「同じ女だから何でもわかりあえるよね」という同調圧力がなかったこと、私の2倍くらい生きている年齢の男性しかいなかったため「何も知らないであろう若い女」として扱われていたことの2点。
たとえ価値観が違っても、そもそも異物として扱われるとその間には一定程度、コミュニケーションの可能性が残っているのであると学んだ。
正直、女性ファッション誌編集部にいた時より雑誌コンテンツが私にとって面白く楽しいものが多かったため次第に上司や上長とも少しずつではあるが、共通の話題が多くなっていった。
高級時計の特集誌面は上司に「これはお前に任せる」と言われるほどに知識を習得したし、スーツ特集は女性ファッション誌編集部で身につけた現場の段取り力で重宝してもらうことができ、現場同行取材も多く経験できた。
前職のことは、総合して大嫌いだけれど編集の楽しさやコンテンツを愛して記事を作ることを思い出させてくれた、男性ライフスタイル誌編集部にはとても感謝している。
けれど、取材関係者との会食だけはどうしても耐えられなかった。
いわゆる「業界人」が集まるので雑誌編集者としては積極的に外交をしなければならないが、女性編集者は女性、という役割しか求められていないのだと何度も何度も痛感させられた。
今般よく話題にあがる「セクハラ」は会食で必ずあった。
テーブルの下で手を握られる、肩や腰に手を回されながら話される、セクシャルな話題しか出されない、女とはこうあるべきという説教をされる、髪や顔を触られる、彼氏はいるのか聞かれる、などなど本当に多種多様なセクハラを経験した。
自分の身は自分で守らねばならず、誰も助けてくれないその絶望的な状況に何度も泣きそうになった。「これは仕事だ」と自分を奮い立たせる度に、何のために仕事をしているのか自問し何も答えられない自分に絶望し、嫌になった。
軽くセクハラを躱すことが仕事だと思っていたし、セクハラだと騒いで「これだから女は」と言われることが何よりも怖かったあの時の私は、何を恐れていたのだろうか。
今でも覚えている、冬の新橋での会食後タクシーに乗ったところまでは記憶があるのだが、気付いたら秋葉原のドンキホーテの前にて体育座りで寝ていた。
その瞬間に「あっ転職しなきゃ」と神の囁きを聞いたかのようにひらめいた。