前職のこと⑵

営業から編集へ異動した私は、歯を食いしばらなくても会社に行けるようになり、午後も仕事ができるようになった。その代わりに電車に乗れなくなったが、会社に無断でバス通勤をはじめた。バスは渋滞によく巻き込まれるけれど、電車のように人を詰め込まないので好きだった。

 

編集の基礎を教えてくれる人はいなかったが、独学で身につけたことを1人でやっていると「こちらの方が効率が良い」と助けてくれるくらいには余裕のある人はいた。

営業からきた、うつ病のくせにやたら明るいヤバめの若い女に最初から仕事を任せたり、アシスタントにつけたり、というリスクの大きいことを誰もしないのは当たり前だとわかっていたし、腫れ物扱いも当然のことだと思っていた。

けれど、うつ病のくせにやたら明るいヤバめの若い女にも仕事をさせるのが前職だった。

 

子会社新卒である私は、なぜか親会社の取締役会運営事務局会メンバーにされた。

運営事務局会といっても、やらされるのは取締役へ珈琲か紅茶を出したり資料のホチキスなどの軽作業、取締役秘書との予定調整などであり、簡単ではあるが人手はいくらあっても足りるということがない性質のものであった。

 

そんな簡単な業務なのに、わざわざ子会社の新卒社員に声がかかるのには理由があることを私はすぐに気づけなかった。

取締役秘書とのトラブルで、前任者、その前の前任者もやめていったのだと、後から事務局会リーダーに教えられた。取締役秘書とは名ばかりで、愛人をそのまま秘書にしたり、秘書が愛人になってみたりという内情も、その際に教えてもらった。

その内情を知る前に、取締役と秘書兼愛人が熱海旅行に行くその出発日に取締役会を設定しようとし、それが癇に障ったのか他の理由からかは分からないが、秘書2名から古典的ではあるが精神的に辛くなるような執拗ないじめを受けた。

 

いじめを受けている時には、事務局会への誘いを快諾した自分の軽率さを呪ったこともあった。

けれど、よく考えてみれば「取締役と肉体関係を持っただけで威張っている女」は尋常ならざる程に滑稽であるし「肉体関係を持った」という事実からは何の評価も発生しないのである。

「事実から価値は出てこない」と言ったのはヒュームであったか、150年も前に言われていることを気付けない愚かな女に私が打ち勝てない、そんなバカなことがあるか。そう思うことができたのは12月24日、街も人も浮き足立つクリスマスイブのことだった。

 

それを獲得してからの私は、自分の仕事に価値を付加することに注力した。

取締役の好み、珈琲か紅茶か、砂糖とミルクはいくつずつか。表にしてあるがそんなものを見なくても私の若い頭脳はすぐにそれを覚えて誰よりも速く行動できたし、取締役たちの不機嫌や上機嫌のトリガーもまつげエクステをつけていない両眼で見抜けるようになっていった。

 

その本当にくだらない、まことくだらない仕事にも価値を付加できれば「評価」されるのである。

私は取締役会での立ち回りを評価され撮影や取材の最も多い、花形部署である「女性ファッション雑誌編集部」と取締役会運営事務局会を兼任することとなった。