いま考える将来のこと

今日の午後、楽しい将来の妄想が止まらなくなったのでそれを忘れないように、忘れても思い出せるようにこれを記す。

 

現在、東京に暮らし東京で働いている。

折に触れて学生時代を過ごした京都に帰った時に思う、いつかまたここに住みたいという考えは東京に慣れたり、東京の友人が増えたり、それぞれの街での遊び方を知った後でも変わることはなかった。

 

現在の仕事は、東京では量が多いが身に付ければどこでも使えるものであるため、

将来はいまの仕事を京都で探して転職し、引っ越そうと思っている。

年収を上げるために国家資格取得も考えていたが、高プロ衆院通過を鑑みると大して期待できそうもない。

 

京都で保存対象である町家などを購入し、今ほど働かずに人生を豊かにすることに重点を置いて生活していきたいと考えている。

京都の寒さは毎年、骨の髄まで沁みたことを覚えているので床暖房は入れたいところだ。家具はイサムノグチであれば町家にも合うだろう。

場所をとる、との理由で購入を見送った21.5インチiMac Retina 4Kディスプレイモデルも購入したいし、ワイン貯蔵庫も簡易的に置きたい。

苦手なドイツ語もしっかり勉強して、混ざってきているフランス語とラテン語もきちんと学び直したい。梅干もまた漬け始めよう。

と、卑小な夢はいくらでも、よくもまあこんなに、思い付くものだ。

 

よく、将来の話をすると「結婚は?」とか「子どもは?」と聞かれるが今のところ一切の興味がないし、自分の人生に他人を巻き込むことはデメリットにはなりこそすれ、メリットにはならないように思われる。

弟を亡くした経験から、もう一度あんな思いをするくらいならどちらもしたくないというのが今は大きいのかもしれない。

 

もうひとつ、京都に町家を購入してやりたいことがある。

書生を探すことである。

 

少し話が逸れるが、私は信じ難いほどの田舎で育ち、田舎を出てから様々なものを手に入れた。田舎を出るチカラのようなものは、知識を得ることで獲得したように思う。

知識は生きていく上で、邪魔にならないし何より自分自身を強くしてくれる。

信じ難いほどの田舎から出てきた小娘を、現在の私に変えたのは「知識」でありその「知識」を獲得できる環境は、偶然が積み重なった結果であると考えている。

 

上記の通り、私は結婚も出産もそれに付随する行為にも興味がない。

それにかかる費用を「学びたい」という気持ちを持っている人の援助としたいと考えている。

「学びたい」という気持ちだけでは学べないことを、私は身を以て知らされてきたから同じ気持ちを持っている人を援助し、その人にとっての一種のセーフティネットとして活用して欲しいと考えている。

 

何年か後に、まだこれを実行する気があれば、法的整理をした上で実行していきたいと考えている。