ストーカーに訴えられた話(前)

学生の時、私はストーカーに訴えられた。

私が訴えたのではない、ストーカーが私を訴えたのである。

あまり思い出したくない上に、ストーカーの目に触れたら嫌だという気持ちが強く、ずっとまとめられずにいた。

けれど、学生時代以上に、勉強をしている今だからこそ、まとめてそれを形にする意味があるのではないかと思い至った。

まずは、前提であるストーカーとの関係性から記していこうと思う。

 

ストーカー(便宜上、というかこれ以外の呼び名を思いつかないのでこう呼ぶ、以下同じ)は、

身長180センチ超、横にも広い大男で、共通の知人(以下、Aとする)を通して知り合った。

第一印象は暗い男、だった。

関係性が変化することとなった契機は、大学の近くで昼食をとっていたところ、ストーカーが偶然その近くを通り、声をかけてきたことだと思う。

 

昼食も終わりにさしかかっていたため、今から大学に向かうのであれば一緒に行こうと言ったことを、私は訴状を読むまで忘れていたが、ストーカーにとっては大事なことだったのだろうと思料する。

詳細は端折るが、約1か月後にストーカーに好意を告げられ、断るという出来事があったが、どこにでもあるありふれた大学生の話だと私は思っていた。

好意を告げられる前、よくストーカーがしていた話は「風俗で本番をした話」と「高校時代好きだった子がとんでもないビッチだった話」だった。

よくわからない話題であり、あまり心地の良い話題でもなかったため、私は自分の好きな物の話をよくした。

虎屋羊羹、夜の梅が大変美しく品があること、幼少期に宿泊した奈良ホテルのシックさ、ジュエリーデザイナー志望の友人に教えてもらったショーメの美しさ、

幼少期よりずっとずっと本が大好きであること、好きな作品、などなど。

 

好意がないことを伝えても恐ろしいほど話が噛み合わないことに、ずっと同じことばかり話すストーカーに、品の無い話をする時のストーカーの誇らしげな顔に、だんだんと不快感が大きくなっていった。

この頃から、よくわからない理由をつけて金銭を私に受け取ってもらおうとしたり、書籍や虎屋羊羹などを突然渡されるようになったことも、不快感を増大させた。

何より、突然不機嫌になって道路標識を猛然と殴り始めたり、深夜に送られてくる超長文メールに、深夜の突然の訪問に、恐怖を感じ始めていた。

 

ある日の塾講師のバイト帰り、夜23時半ごろだっただろうか。

自転車に乗っている時に、自宅前に誰か立っていることに気がついた。

それがストーカーであると脳が判断した瞬間、恐怖のあまり手足は震え目から涙が溢れた。

ストーカーに気付かれていないことをひたすらに願いながら、何回もペダルを踏み外しながら、私は友達の家に向かい、助けを求めた。

 

私はそれから数か月、自宅に帰らずに友人宅に居候をさせてもらって生活した。

友人に頼んで、私の家から教科書やレジュメを回収してきてもらい授業にも出られるように環境を整えた。

また、ストーカーとの共通の友人であるAから、ストーカーに対して近づいて欲しくないこと、以前からずっと伝えているが重ねて恋人には絶対になれないことを伝えてもらった。

 

バイト帰りの恐怖体験の次の日には、警察にも相談した。

警察からは、

「ストーカーの連絡先か住所がわかれば、警察官がいずれかの方法で忠告する」

「緊急事態が起きた時には警察直通連絡ができるブザーのようなものを渡す」

「警察署にいちいち来なくてもいいように、警察署担当電話番号を渡す」

のいずれかまたは全部ができると言われた。

DV被害に遭った女性を保護するシェルターについては、緊急性がそこまで高くないことを理由に利用ができないと伝えられた。

私は、警察署担当電話番号だけを受け取り、実害がなかったため被害届は出さずに帰った。

 

夜は何回も後ろを振り返りながら、昼も逃げ道がある場所を選びながら行動する日々が半年ほど続いた。

ストーカーはAを通じて、許して欲しい、絶対に私のことは許さない、人生をめちゃくちゃにしてやる、ずっと好きだ、など矛盾しているが多くのことを伝えてきた。

 

友人宅に居候しているからか、ストーカーの脅威を直には感じることなく、9か月ほど経過していた。

なんとなく、少しだけ心が緩んできていた。

 

そんな時に、訴状は届いた。