大好きなものへの愛

人間だとできないが、ものとは長く付き合うことができる。


お洋服、靴、鞄、帽子、時計など自分を装ってくれるものは昔から大好きだし、

食器や筆記用具、書籍は幼い頃から同じものを使い続けている。

親や親しい人から贈られたものもあるが、多くは自分で選び自分の金銭で購入した。


だから何か新しいものを買う時は、

時間をかけてゆっくりと様々なことを調べながらどれが一番良いかという結論を出すようにしている。 


良いという価値判断が曖昧、一意に定まらないことであることは昔から認識していたが、最近とみに"良い"という価値判断について考えるようになった。


お洋服を選ぶ時は、まずは自分の体形に合っているか、その次に自分の雰囲気に合っているか、を考える。

その次に着ていく場面、自分の既に持っているお洋服と合うかを想像する。

最終的には、そのお洋服に自分が釣り合うかを考える。

卓越した美しさを持っている優れたお洋服はそれ自体に迫力があり、

自分がお洋服に着られてしまうということがありえる。

お洋服にとっても不本意であろうから、

どんなに好きでも、買える値段であっても、自分がお洋服に釣り合わなければ諦めることにしている。


筆記用具は、友人からいただいたウォーターマンの万年筆をずっと使っている。

会社で使うと少し嫌味に見えるほどはっきりとした美しさを持っているので、1日ずっと使えないのがとても悲しい。

博物館や美術館の学芸員になってその万年筆を使うといいかもしれない。

筆記用具に関してはラミー、ファーバーカステル、スタビロ、ステッドラーなどドイツ製のものを愛しているのだけれど、万年筆だけはフランス製なので少しだけ他の筆記用具たちに申し訳ない。


食器は幼少の頃に陶器の里で育った影響から年齢や食生活に不釣り合いなものばかり持っている。

現川焼、臥牛窯の白鷺ほど美しい鳥は現実にも空想にも見たことがないし、刷毛ひとつで継ぎ目のない模様を描き出す職人に敬意を表さずにはいられない。

酒井田柿右衛門の作は涙が出るほど人の心を動かすし、黄味がかった茶色い土からあたたかみのある濁手素地を生み出せるのは化学の力であると知っていても神の業としかいまだに思えない。


書籍は生涯を終える時まで一緒にいるであろう友であり、師でもある。

いつ終わるかわからない生涯なので、良い書籍と会えた時に購入するし値段は見ない。

家には法学書、政治学、哲学などの専門書、言語のテキストや辞書、三島由紀夫全集、カント全集、ニーチェ全集、アリストテレス全集、丸山眞男全集、小説や漫画など、ジャンル様々な書籍があるがまだまだ足りないと思っている。

書籍に埋もれて生きていたい。


私が明日死んだら、大事にしているお洋服、筆記用具、食器、書籍はどうなるのだろう。

それだけが心残りである。