前職のこと⑶

女性ファッション雑誌編集部に兼任配属となってからは、想像を絶する激務が待っていた。

日が昇っている間は、取締役会運営事務局会の業務、アパレルメーカーへの電話と確認のメール、撮影、スタジオとモデルとカメラマンのおさえ、社内会議と社外会議、とにかく相手がある仕事をできる限りすることがミッションだった。

日が沈んでからは、誌面編集作業をひたすらできる限り進めることがミッションだった。

当然、残業時間は月100時間を優に超え、家は寝るどころか単に着替えを取りに帰るためだけの場所になった。

それでも、編集者の端くれとして編集に関われていることはそれだけで嬉しく充実感のあることだった。書店に最新号が並ぶと、嬉しくて書棚に走った。自分が入れたキャプションが実際に活字となって誌面に並ぶと、どんな詩人の書いた素晴らしい一節よりも輝いて見えた。

1か月後にはただのゴミになるのに。

 

なんとなくではあるが、配属初日から女性ファッション雑誌編集部の編集者とは価値観の違いを感じていた。

企画を出す度に必ず「モテ」「愛され」という言葉が書き足されて返ってくるし、スタイリストやモデルと知り合いになることを至上命題としている編集者の方が企画をきちんと考える編集者より多かった。

雑誌のテーマである『新しい時代を生き抜く女性たち』はそこにいなかったし、参考にもしたくないモデルの経歴を絶賛する記事や他社人気雑誌のパクリ企画記事ばかりを編集せねばならず、編集長の言葉を借りれば「ナメられない」つまり高級でトレンドをおさえた格好で仕事をしなければならず、あんなに嬉しかった編集作業も退屈なルーティンになり、日に日に心が空っぽになってまたうつ病の症状のようなものが出始めていた。

 

上長に相談をすると「なに、やめたいの?」と他人を思いやるとか、心配しているフリをすることもなく、身も蓋もない言い方で、やはりこの人たちとは今生ではわかりあえぬのだと絶望させられた。

けれど、隣の部署である男性ライフスタイル誌で人が辞めたため「うちが嫌ならそっち行けば?」の一言で次の配属先が決まったのは今考えれば、とても幸運であった。